よくあるご質問

「粟おこし」は、なぜ大阪名物になったのですか?
江戸時代の大阪は「天下の台所」と呼ばれ、各地から多くのお米や特産物が集まりました。
昔の「粟おこし」は、粟を原料にしていましたが、わざわざお米を粟状に砕き、砂糖を贅沢に使って作られた大阪の「粟おこし」は、大変おいしくて評判となり、大阪土産になりました。
また、明治37年(1904)日露戦争の時に、満州にいる兵隊さんに配られる『恩賜の御菓子』として、明治天皇より弊社の「粟おこし」35万箱の大量注文を受けました。
「菊の御紋章入りおこし」は兵隊さんに大好評で、大阪の代表名物として「粟おこし」の名が、一層各地に広がりました。
「粟おこし」は「粟」でできているのですか?
粟ではなく「お米」を使用しています。
昔は「粟」を使用していましたが、大阪の「粟おこし」は江戸時代よりお米を使って作っています。
粟より高価なお米をわざわざ粟状に加工して「粟おこし」というところに、粋な大阪人の心いきが見られます。
大阪のおこしに梅鉢のマ-クが入っているのはなぜですか?
菅原道真公が九州に流される途中、大阪の高津の港で船待ちをしている時、土地の老婆が道真公を慰めようと、「粟おこし」を作って差し上げました。
道真公は喜んで、家紋である梅鉢のついた小袖を渡し、「この紋を目印に広く世に広めよ」と云われたとのことです。
それ以後、大阪のおこしには天神様と同じ梅鉢のマ-クをつけて販売しております。
「粟おこし」と「岩おこし」の違いを教えてください。
「粟おこし」は、お米を粟のように砕いて原料としており、さっくりした食感と香ばしさが特徴で、ごまの風味がお口いっぱいに広がります。
「岩おこし」は、粟おこしよりお米の粒をさらに細かくすることで生まれる独特の岩のような硬さが持ち味で、コクのある黒砂糖の甘さにシャ-プなしょうがの辛さがマッチして絶妙な味わいです。
「粟おこし」は何時の時代から、作られていたのですか?
「おこし」 は日本で最も古くから存在するお菓子といわれます。
弥生時代の出土品に<ほしいい=米を蒸して乾燥したもの>に似た穀物の加工品が出てきます。
これが、おこしの原型ではないでしょうか?(→詳しくは、サイト内「おこしの歴史」をごらん下さい。)
東京の「雷おこし」と大阪の「粟おこし」との違いは何ですか?
昔から東京の「雷おこし」は、お米や小麦粉などを原料とし、《団子》状ですが、大阪の「粟おこし」は、お米が原料で《板》状です。
板の形をしたおこしは非常に食べやすく、江戸時代、上方文化が盛んな大阪の町では、芝居見物のお供や各地への土産として重宝されました。

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